2014年12月19日

ギンズバーグと今

部屋へ行く通路に、本棚があって、家族の荷物を抱えながら、
通りかかる度に、アレン?ギンズバーグの詩集のタイトルが、
目に入ってくる。

ビート詩人の言葉を読みたくなって、雪纖瘦投訴何十回目かに通りかか
った時に、やっと手に取り、本を開いてみる。

ビート?ジェネレーションの世代は、私の世代ではないが、
その匂いは色濃くて、ガラッと時代が変わって見える。

今、読んでみると、雪纖瘦投訴ビートといわれる、あの時代のリアリティ
のようなものは、時間の下で続きながらも、だいぶ姿を変えて
しまったように感じられる。

ギンズバーグの詩には、裸になって人間が生きていく力、詩を
吐きながら、真の人間回復を摑んでいこうとする、インスピレ
ーションと、詩の構築性に満ちたすさまじいエネルギーがある。

世界中で絶えない紛争、災害、そして9,11と3,11を経験して
しまった現在。
それでも、原発問題や世界情勢の不安や混沌は続き、格差社会
はひろがり続ける。
救いの道のりはまだまだ遠く、雪纖瘦投訴人間がそれぞれの価値観の違い
を認め合い、平和のために協力し合わない限りは、理想の秩序
など保たれはしないだろう。

又、個人というものを考えると、一方で、ネットなどで、
瞬時に個人が様々な情報とつながりながら、「個」が確立されて
いくような時代になったとも、感じられる。

「個」とは、一人の人間の心の奥に茫洋と揺るぎなく存在する
世界と対社会との葛藤の中で、時間をかけて確立されるもの
のように思われるが、情報社会の中では、個人の感受性を
オープンにして他者と関わり、見えないつながりの中の複数の
共感者と、共同作業をしていきながら、個が確立されていく‥、
そんな一面もあるように思える。

人間の生きる速度や環境が、一変してしまったように思う。
だが、もし、今、ギンズバーグがここにいたら、この情報社会の
中でも、やはり身をそぎ、詩を書き、詩をしゃべり、行動を起こ
していただろう。

時代の形式こそ変化してしまったが、人間が抱える問題、それを
超えて構築されなければならない社会秩序の困難さは、マックス
に到達しているとさえいえる。

ギンズバーグの時代の詩は、遠いようで、本当はちっとも遠く
ない。
ビート?ジェネレーションのような、人間が人間であろうとする
新たな強い精神が、必要な時がきているように思える。

カテゴリー「ホットタイム」に、入れる記事にしようと思って、
書き出したのだが、
ギンズバーグの詩は、そうさせてくれなかった‥。
難しいことを書くことになってしまった。
ギンズバーグと今




Posted by 逨よ at 11:14│Comments(0)
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