スポンサーサイト

上記の広告は2週間以上更新のないブログに表示されています。 新しい記事を書くことで広告が消せます。  

Posted by スポンサー広告 at

2014年12月24日

塔 和子(とう かずこ)さんの詩

塔 和子(とう かずこ)さんが亡くなって一か月が過ぎた。
数日、陶さんの詩を、読んでいた。
1929年に愛媛県で生まれた塔和子さんは
14歳の時、ハンセン病を発症し、
1943年に国立療養所大島青松園に入所。
病気は治るが、後遺症の為、療養所にとどまる生涯だった。
ハンセン病は感染力も弱く、現代では完治する病気だ。
しかし、愚かな人間の浅はかな偏見と、病気への恐怖心から、
脆弱で卑劣な人間の心が社会の多勢を占め、
ハンセン病患者を隔離し、この病気の差別史は続いてきた。
陶さんの詩を、静かに読んでみる。
心に、深い傷を持ち、いのちの深淵をのぞきながら頭痛歩いていった人の言葉の前に、かなうものはなく、
頭を垂れて、その言葉に聞き入るのみだ。
詩とは、何だろう。
陶さんのいのちのまなざしは、言葉へと変貌し、
病苦と闘う絶望の淵で、そこに光を見つけ、
美しい花を咲かせる。
言葉というものが、人間が生きていくために、
どんなに必要なものなのか、ということを
思い知らされる。
陶さんは、<透明な祈り>という。
深い傷を心に持ちながら、見たもの、
Neo skin lab触れたものを
希望の光に変えてしまう詩人の言葉。
彼女の生涯を通じての祈りは、美しい光で世界を
包んでいくような、清らかな覚悟のように感じられる。

  


Posted by 逨よ at 11:41Comments(0)

2014年12月19日

ギンズバーグと今

部屋へ行く通路に、本棚があって、家族の荷物を抱えながら、
通りかかる度に、アレン?ギンズバーグの詩集のタイトルが、
目に入ってくる。

ビート詩人の言葉を読みたくなって、雪纖瘦投訴何十回目かに通りかか
った時に、やっと手に取り、本を開いてみる。

ビート?ジェネレーションの世代は、私の世代ではないが、
その匂いは色濃くて、ガラッと時代が変わって見える。

今、読んでみると、雪纖瘦投訴ビートといわれる、あの時代のリアリティ
のようなものは、時間の下で続きながらも、だいぶ姿を変えて
しまったように感じられる。

ギンズバーグの詩には、裸になって人間が生きていく力、詩を
吐きながら、真の人間回復を摑んでいこうとする、インスピレ
ーションと、詩の構築性に満ちたすさまじいエネルギーがある。

世界中で絶えない紛争、災害、そして9,11と3,11を経験して
しまった現在。
それでも、原発問題や世界情勢の不安や混沌は続き、格差社会
はひろがり続ける。
救いの道のりはまだまだ遠く、雪纖瘦投訴人間がそれぞれの価値観の違い
を認め合い、平和のために協力し合わない限りは、理想の秩序
など保たれはしないだろう。

又、個人というものを考えると、一方で、ネットなどで、
瞬時に個人が様々な情報とつながりながら、「個」が確立されて
いくような時代になったとも、感じられる。

「個」とは、一人の人間の心の奥に茫洋と揺るぎなく存在する
世界と対社会との葛藤の中で、時間をかけて確立されるもの
のように思われるが、情報社会の中では、個人の感受性を
オープンにして他者と関わり、見えないつながりの中の複数の
共感者と、共同作業をしていきながら、個が確立されていく‥、
そんな一面もあるように思える。

人間の生きる速度や環境が、一変してしまったように思う。
だが、もし、今、ギンズバーグがここにいたら、この情報社会の
中でも、やはり身をそぎ、詩を書き、詩をしゃべり、行動を起こ
していただろう。

時代の形式こそ変化してしまったが、人間が抱える問題、それを
超えて構築されなければならない社会秩序の困難さは、マックス
に到達しているとさえいえる。

ギンズバーグの時代の詩は、遠いようで、本当はちっとも遠く
ない。
ビート?ジェネレーションのような、人間が人間であろうとする
新たな強い精神が、必要な時がきているように思える。

カテゴリー「ホットタイム」に、入れる記事にしようと思って、
書き出したのだが、
ギンズバーグの詩は、そうさせてくれなかった‥。
難しいことを書くことになってしまった。


  


Posted by 逨よ at 11:14Comments(0)

2014年12月15日

残り時間

昨日は、出先への移動時間中に、ブログ記事を書いた。
ガラケーの電池がレベル4になってしまいつつ、一生懸命、熱を入れて入力した。
あまりにも自分の胸の内をさらしすぎたせいで、アップしようか悩んだ。

アップしないんだったら、と、ついでに自問自答して、自分にあれこれ問い正してみた。
それは、わたしの実家に行く道中のことだった。

2つの場所で、2つの用事を済ませて、帰路、電車の中でブログ記事を仕上げた。
行きに書いたものと、感想は少し違っていて、爽快感、すっきり感、自分でのもやもや感、解消、
結論の方向性は、こっちだなあ???と感じた。
そして、思った。
ああ、アップしなくてよかった。

自分の胸の内をさらして、なにが嬉しい?
恥である。
ひとつ、恥の流出を未然に防げた。


帰りの電車で、ついでに、友人の実家に遊びに誘われていた件、
自分の実家の用事で、行けなくなったので、お断りの返事をした。
理由は、明確には書かず
「6月中に済ませなければいけない用事が発生したので、残念ですが行けなくなりました」
とメールに書いた。

そのお断り内容は、嘘でもなんでもなく、真実、事実である。
ただ、はっきり具体的には明言しなかっただけだ。

今のわたしには、人の実家に遊びに行く余裕がない。
ほかにすべきことが、けっこうある。
優雅に遊んでいられない。

すると、返信メールには、
「○○ちゃんは仕事、△△ちゃんは用事。□□ちゃんは会ったばかりだから、この会、今回は、お流れにするわ」
と書かれていた。
無理して合わせて行かなくてよかった、と、本気で思った。
皆も、それぞれに忙しいのだ。

優先順序をつけると、学生時代の友人と、お茶してランチ、などという時間の使い方は、
今のわたしには、(申し訳ないけれど)最下位である。
しかしながら、わたしの実家へのお誘い申し出の時には、
よくぞ、皆集まってくれたものだ。(たいして親しくもないのに)

たまたま時期が良かったのだろう。

???

ちなみに、昨日、とある人たちとの会でのお話。
出生率について話していた。

いまどきの出生率、あれは、瑪姬美容未婚の人は分母の数には入っていないのでは?
実際は、もっと出生率は低いに違いない。
と、未婚の税理士先生の意見。
それを受け、「未婚の人々はかなり多い」、と、某女史。
結婚できない、しない、したくない???と、いろいろ。

そこで、某女史が、つい先日、見た光景を話した。

阪急デパート?梅田店でエレベーターに一気に一緒になった、ヤング?ハイソ?ママ軍団。
お金持ち風?子連れママが4人一堂に集まり、すごいオーラで、その全員の服装、身なりの高級なこと。

あんな専業主婦を扶養できる夫は、普通のサラリーマンでは絶対に無理。
奥さんか、だんなさんの親が金持ちとか、そういう付加条件がついていないと、若い夫だけの稼ぎでは不可能だ、と、某女史の感想。

ママたちのアタマの先から、足の先まで、瑪姬美容集團呃錢赤ん坊の服装、持ち物、ベビーカー、すべてが超高級。
お車で、都会のど真ん中のデパートにお越しになっておられる、これは、金持ちに他ならないと。

「家ではいったい、どんな格好なんでしょうね?」と、わたし。
「同じようなかんじでしょう」と、独身税理士。
「いっしょに家にいたら、息がつまるでしょうね」と、わたし。

これって、ハイソな方々に対する、興味、疑問、苦手感を通り越して、われわれの毛嫌い?

わたしは、たいして、毛嫌いしているというかんじではなく、
よくそんな息苦しい格好をして、都会のデパートくんだりまで、ベビーを連れて出てくるなあ???
しかも、複数で???
と、そっちのご苦労様ぶりに、驚いた。
あんなに疲れる、ストレスのたまることが、瑪姬美容彼女たちのストレス発散なのだろう。
わたしとは、逆ベクトル方向だ。

わたしは、そもそもストッキングが大嫌い。
夏にストッキングを履くだけでも、ぞっとするのに、それにまた輪をかけたような拷問に近いハイヒールを履いて、
しかも、地球上のどこの何よりも、ストレスの塊である、赤ん坊を連れて、
あんな人ごみいっぱいのデパートへ???!!

いくら大金を積まれても、わたしは、ご免こうむりたい。
あれが、ハイソの証であるとしたら、わたしは、ぜったいにハイソには一日足りとも息苦しくて、身を置けない。
一目散に逃げるだろう。

義姉の大好きな趣味の世界も、あの匂い、あの香り。
わたしは、あの手の世界が、大の大の大の大の苦手である。
窮屈で窒息しそうだ。
「おハイソ」というものは、肌に直接サランラップを巻いているかのごとく、
わたしから、ふつうに皮膚呼吸する機能を奪う。



  


Posted by 逨よ at 16:10Comments(0)